良然による創建当初(1596年)は大光山正徳寺と称していましたが、江戸中期に高僧として名高い無能(1683年~1719年)が現れ、その弟子不能や師の徳をあがめて寺号を改めて再興した寺。以後、厳しい戒律を守って生活する律院として発展、浄土宗奥州地方教化の中心寺院となったといわれています。 境内にある「御蔭廼松(みかげのまつ)」は明治天皇が東北巡幸のときに命名された老松。推定樹齢450年、樹高6メートル、根回り5メートル、枝張り16メートル。本堂裏の墓地には、名代官とうたわれた桑折代官寺西重次郎封元墓所、島田代官家族の墓所、藤方彦市郎重列墓所があります。山門は、元治元年(1864)の上棟の豪壮な薬医門で、城郭の門のように折れ曲がる参道とともに特異な景観を示しています。明治6年(1873)敷地内に桑折学校(現醸芳小学校)が開かれました。