江戸時代の火災で記録が焼失し、年代は分かりませんが、霊山寺の支院として創建され、大立目(伊達市保原町)から岡村(伊達市長岡地区)を経て、桑折に移された浄土宗の寺です。鐘楼門にかかげられた梵鐘は、延享5年(1748)桑折藩主松平忠恒が大檀那となり、桑折宿の久保理右衛門尚盛等が寄進したものと伝えられ、現在のものは、再々鋳されたものです。境内には、寛政12年(1800)より桑折代官に着任し、飢餓対策など数々の善政を施し、名代官と慕われた竹内平右衛門信将墓所のほか、西根堰の開削に尽力した伊達西根郡役佐藤新右衛門や幕末の国学者で万葉歌人であった安藤野鴈(ぬかり)らの墓所も営まれています。